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  • 2013.11.29 Friday
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〜独立直後、たくさんの仕事を抱えての火傷事件〜

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〜独立直後、たくさんの仕事を抱えての火傷事件〜

 非常にかっこ悪い話から始まるが、それは3月まで遡る。

 

 3月下旬に事務所を引っ越してから、忙しくなる4月を前に僕は一時帰郷することにしていた。しばらく北海道のふるさとに帰っていなかったので、3日間ぐらいは帰って家族や友人たちに会おうと思っていたのだ。

 

 この日はほとんど寝ずに朝を迎えて、朝一番の飛行機に乗った。移動中などもD×Pの仕事をしながら札幌の実家にたどり着いた。家族と話し合い、そして夜遅くから友人たちと飲みに行き、朝方自宅に戻る。僕はベッドに倒れ込み、ほぼ一瞬にして朝を迎えた。

 

 朝起きると、脚の方が暖かい。「おお、母さんたちが湯たんぽを入れてくれていたんだな」と、眠い目をこすりながらもその優しさに幸せな気分になる。そして、寒い空気の中で暖かい湯たんぽと布団にくるまりながら、僕は二度寝をした。

 

 その時までは、僕は自分の足が大変なことになっていることに気がついていなかった。

 

 朝起きて着替えているときに、僕は脚の異変に気がつく。「むっ!!!!」と見ると、右足のふくらはぎに巨大な水ぶくれができている。漫画のたんこぶのようなその巨大な水ぶくれに、母親は「ああ、これは湯たんぽで低温火傷したんだね」と話していた。

 

 「6日後にはハーフマラソンが控えている、だが、なんとかなるよな」このときからしばらくは、この水ぶくれの重大さに気がつかず、とりあえずつぶして薬を塗り包帯を巻いていた。大阪に帰ってきた後もそういった対処をしていたのだが、4月1日に異変が起きた。

 

 朝からすごい右脚の痛み。その日は移動も多かったのだが、徐々に普通に歩くことが困難になってきた。「いったい、この痛みはなんなんだ?」次の日はハーフマラソンで、その挑戦を楽しみにしていたのだが、断念。あまりにも痛すぎて、走る、というより歩くことすらも困難になってきたのだ。僕は「この状況はさすがにまずい」と思い始め近くの形成外科を探し、病院に行った。

 

 「よく耐えましたね、これは痛いでしょ?」と、医者が同情しているような顔で言った。「これ、3ヶ月はかかりますよ、もしかしたら皮膚移植をしなければいけないかもしれません」と話していたが、とにかくあまりの脚の痛みを理解してくれただけでも、「ああ、救いの手がきた」と思っていた。

 

 次の週には美容専門学校の新1年生の、しかもその1年生にとっての初授業を任されている。その準備で忙しかったが、脚の治療に専念する必要があった。この週、僕は3回も病院に通った。徐々に痛みが回復し、まだ足を引きずっている状況だったが、「なんとかやれるぞ」と思っていた。

 

 しかし、とんでもない悲劇が、専門学校での初授業の2日前に起こる。右足のふくらはぎの一部の肉はほとんど腐っていたため、一度切除して焼いて出血を止めてもらい、僕はいつものように事務所で仕事をしていた。そのときに、「ええ!!」とスタッフの岡本が驚きの声をあげた。「のりさん、足から血がポタポタ垂れている」というと、他のスタッフもびっくり。ズボンに血がにじみ、大量に出血していた。

 

 何が起こったのかわからなかったが、靴をはくこともできないので、スリッパで病院に向かう。結論からいうと、僕はこの出血事件から5時間ぐらい出血し続け、4度も病院に行って止血してもらわなくてはならなかった。原因は医療ミス、この日は精神的にとんでもなく参ってしまった。とにかく安静にするために家に戻り、寝たきりの状況となった。「月曜日の美容専門学校の授業に行かなきゃいけないが」そんな不安を抱えながら、僕は週末を過ごすのだった。


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  • 2013.11.29 Friday 16:29
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