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  • 2013.11.29 Friday
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D×Pをはじめた理由 今井紀明 その 崋分のバックグランドから考えてみる」

共同代表の今井です。

ちょっとたまには自分のことをまとめてみよう、と。

来年のNPO法人化の申請前に「自分が始めた理由とか情熱とかをまとめてみろよ」と監事になる自分の先輩にいわれたので、ちょっとまとめてみます。何回かに分けて書きます。

まずは子どものときからの話。





小さいときは普通のゲームが好きな男の子だった。
110時間以上もRPGには打ち込めるし、朝から晩までやり続けていた記憶がある。スポーツなんかあんまり好きではない、小学校のときは好きな女の子に誘われてブラスバンドにも入る、結構内気な男の子だったと今考えてみれば思う。

中学校のときは結構目立ちたがり屋だったかもしれない。ブラスバンドから引き続いて吹奏楽部に入り、全国大会に2回。生徒会長も兼任していたといえば、中学校時代はばたばただったとわかってもらえるかもしれない。

自分が社会問題に関心を持ち始めたのは中学時代の最後、生徒会長をやめて吹奏楽部もやめたときに暇になったときのことだった。受験勉強もあったが、なぜかあんまりやる気が起こらず、あんまり勉強しないで朝の通学のときにゴミ拾いをやっていた。「生徒会長をやっていたんだから、それぐらいしないと」と勝手な責任感を持つ勘違い屋さんで、あほだった僕。笑

ゴミ拾いをはじめて環境問題に興味を持ち始めた僕は片っ端からブックオフで本を買いあさって読んでいた。受験勉強をしなかったのはこれが理由なのかもしれない。当時はインターネットもほとんど触ったこともない男の子で、本ばかり読んでいた。

中学卒業前、ひょんなことで近くにできた市民活動センターみたいなところに言ったら「NGO屋台村」という様々な国際協力のNGOが集まる催し物がやっていた。僕はそのときに延々と一個一個のNGOの人たちから話を聞き回り、地球ってこんなにまずいんだ、戦争で苦しんでいる人たちがたくさんいるんだ、と解釈し、高校のときには必ずその研究をしようと思うようになった。

そして、何か行動を起こそうと心に決めて「高校に入ってから昔の人みたいに努力しよう。高校
3年間は昼ご飯は食べないようにして、飢餓にも耐えながら母親からお金をもらい、それを勉強のお金にしよう」と静かに誓ったのがこのとき。今、考えてみれば本当にあほだったとしか思えないが、当時の僕はすごく強く思っていて、結局高校3年間、一度しかまともにご飯を食べたことがなく、高校の食堂に顔を出したことが一度もない。笑 母親と祖母に何度かばれそうになったが、そういうときには高校の友人を連れてきていて「一緒によく昼休みにご飯食べて遊んでます」というような事を、よく友人に言わせていたと思う。笑

さて、高校時代の話に戻ると、高校1年生の時にひとつの大きな出来事があった。それが911のテロ事件のあとに起こったアフガニスタンの空爆だった。ビンラディンという人物がアルカイダという組織を率いてテロ攻撃したと思ったら、アメリカはタリバンという組織があるアフガニスタンの空爆をはじめた。いくらタリバンがアルカイダとつながりがあるとかいっていても、国際法を無視して空爆をはじめたアメリカ、そしてそこに対してすべての国が行動を支持した事に対して疑問しか映らなかった。突然、あのときから僕のなかで世界が敵になった、というか、この世の中の不条理が敵だという認識に変わったのかもしれない。

そこから僕は弁論部と吹奏楽部に入っていたが、それをやめて学校外で様々な人たちに出会うようになる。いわゆる平和運動をしている運動家の人たちだったり、NGOの関係者や議員の人たちなど、本当に様々な人たちと話し合ってきた。学校の勉強に興味を持たなくなり、変人扱いされる様に?なってきたのはこのころからかな。クラスメイトや友人のこともあまりこの辺りから関係性が薄れはじめて、結構学校ではひとりでいることも多くなった。学校に通ってもずっとねているだけでまともに勉強することもない、学校を休んでずっと外で動いていたこともよくあった。数学の先生に言われたのは「今井、地球を救うよりも自分を救え」とのお言葉。笑 今考えてみれば、もう少しまともに勉強すればよかったのかもしれない。

このあたりのときに実は学校を辞めたいと思っていた。大検をとって大学にいこうと思っていた。全然、僕は高校にいることに魅力を感じることができなかった。だけど、担任がいい先生で僕を引き止めてくれたおかげで学校には残っていたのだと思う。僕は先生方に怒られたし、最後にあまりにも学校での点数が悪すぎたので全校のトイレ掃除をして卒業していったことを覚えている。

そして、あの事件を経験した。人質になる経験から僕は様々な人から批判を受け、路上では叩かれたり、罵声を浴びた。僕は人と話せなくなり、応援する人たちのことが嫌いになり、人と関わることが嫌になり、笑わなくなった。





事件後、僕はイギリスに行った。とにかく、逃げたかった、日本から。

写真はイギリスのときの1枚、イラク戦争から2年経った時のロンドン反戦デモ。

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  • 2013.11.29 Friday 21:34
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