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  • 2013.11.29 Friday
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初めまして!新インターン生としてのご挨拶。

はじめまして。
DPインターン生として新しく仲間入りさせていただいた、
白川愛子といいます。
DPでは、川と愛を抜かして、"白子"と呼ばれたりしています。
やっと慣れてきたニックネームですので、
お会いできた際には気軽に白子ちゃんと呼んで下さい。

普段は立命館の大学院生として、"対人援助学"を学んでいます。

思春期を迎えた子どもたちが住みやすい環境、
彼らが平和に暮らせる場所作り、が私の研究テーマです。

プライベートではアジア圏の文化や食べ物が大好きで、
たまにインドネシアに行ったりしています。
タイカレーを始めから作れるようになることがいまの目標です。

自己紹介はここまでとして、私がなぜDPと出逢ったのか、
そしてインターン生になったのかということを、お伝えしたいと思います。

―――――――――――――☆; *:゚*。

「いまの自分を変えたい!もっと自分を好きになってあげたい」という想い。

DPと関わるにあたってはこの想いが根底にあります。
私のDPとの初めての出逢いは、
第三回クレッシェンドでコンポーザーをしたときでした。

誰もが抱えている辛かった過去を克服して、
自分を肯定できるようになりたい、と考えたとき、
その過去と向き合いながら高校生と関わることができる、
そんなコンポーザーに魅了され、すぐに説明会に応募しました。

それは辛かった中学、高校時代に、
たくさんの人にお世話になったことに気がつけたからからでもあります。
お世話になった方々への恩返しとして、
私自身が社会になにかできないか?という気持ちです。

ちょうど、いろんなことがうまくいかなかったり、
落ち込むことが多くあった私にとって、
DPは新しい風を吹かせてくれる場所でした。

―――――――――――――☆; *:゚*。

第一回のクレッシェンドは「失敗なんて当たり前!」。
高校生に負の相対化を体験してもらうために、
コンポーザーが過去の失敗と克服までの
「失敗体験談」を伝えるというものです。

これはとてもしんどい作業でした。
自分が思っていた以上にその過去に
縛られていたことに気がついたり、
嫌いな自分が出てきてしまったり…

高校生の前で話すまではドキドキの連続で、
逃げてしまいそうになったくらいです。

しかし、私たちコンポーザーの話を聞いてくれた高校生は、
「同じ想いをしている人が元気になっているなら、自分も頑張りたい」
と感想を書いてくれました。

これほど嬉しいことはありません。

クレッシェンドを重ねていくうちに、
私は彼らのために話をしていたはずなのに、
どんどん自分が元気になっていることに気がつきました。

それこそが、このクレッシェンドの魔法だと私は思っています。

否定しない、否定されない環境のなかで過ごす時間があると、
人の心はどんどん軽く、元気になっていくのです。

―――――――――――――☆; *:゚*。

この環境作りの秘訣をもっと知りたい!というのが、
インターン生を希望した動機です。

自己紹介でもお伝えしたとおり、私の研究テーマは
「思春期の子どもが平和に暮らせる場所作り」です。

ここでいう「平和」とは、平和学の父ヨハン・ガルトゥングの提唱する、
"暴力のない状態"をいいます。
この暴力とは身体的なもののみならず、
精神的なものも含まれます。

つまり、彼ら/彼女らが心も身体も安心して安全に暮らせる場所という意味です。

心の側面においても平和に暮らすためには、
ありのままの自分を受け入れ、肯定できるようになることが必要です。

DPのクレッシェンドで出逢った大人たちに肯定される経験を持った高校生は、
いままでよりずっと平和的環境で暮らすことができるようになるでしょう。


そしてここでの繋がりや経験を糧に、彼らが自分の辛いことを考え直したり、
それと向き合うことができるようになることがクレッシェンドにおける私の願いです。

―――――――――――――☆; *:゚*。

コンポーザーとしてクレッシェンドに参加したときの想いを糧に、
これからはインターン生としてDPに関わらせていただきます。

コンポーザーを始めとするDP関係者の方々、
どうぞこれからよろしくお願いいたします。

そして、ここまでお読みいただいたDP未経験者の方、
ぜひ高校生と一緒に心を元気にしてみませんか?

ご縁がありましたら、お会いできることを楽しみにしています。

白川愛子

新スタッフ(インターン)としてのご挨拶

  

はじめまして、こんにちは。

この度、特定非営利活動法人D×Pにインターン生として

新しく加わることになりました石原千紘(いしはらちひろ)と申します。

 

大阪府堺市出身の1994年生まれ。

奈良の大学に通う2年生。大学では、社会学を学んでいます。

現在、大学に通うために生まれてはじめての1人暮らしをしています。

映画「かもめ食堂」を見て以来、フィンランドにあこがれ

大学在学中にフィンランドに留学するという夢があります。

 

――――――――――――――――――**

D×Pとの出会いが、世界をかえる

**――――――――――――――――――

D×Pとの出会いは、2年前。私の通っていた通信制高校でクレッシェンドが開催され、

その第1期高校生参加者となったことがきっかけでした。

 

クレッシェンドに参加したとき私は、
知らない大人と話してどうするの?どうしたらいいの?

通信制高校生ってどんな風に思われているの?なんて沢山の不安を抱えていました。

 

それはというのもその頃の私は、
通信制高校生であることに快適さと自由さを感じていましたが
自信は持っていませんでした。

その自信の無さは、言葉にも影響していたので
私は話す言葉に意味も価値も見出せない状態だったのです。

今日何があったか、何を感じたか、何に悩んでいるか、何を夢見ているか、
なんてことを先生や友達に話すことがどうしても嫌で、
私の思っていることを話しても誰も聞いてないでしょ、理解できないでしょと
いう風に思っていたので、伝えるということを放棄しているような高校生でした。

 

そんな私がクレッシェンドに参加して、
親でも先生でも友達でもない「大人」の人と話し思いを伝えるという行為は、
とてつもなく大きな出来事でした。

どんな風に話したら言いたいことを伝えられるのかも知らないままに、
私は夢の話をしました。夢の話をしている間、
大勢の人が私の言葉に耳を傾けてくれている姿がたまらなく不思議で、
ものすごく嬉しくて、とてつもなく楽しかったのです。

人とのつながりが、私の世界をかえてくれたのです。

 

 

――――――――――――――――――**

クレッシェンド生徒から、今なぜD×Pインターン生なのか。

**――――――――――――――――――

不登校を経験し、通信制高校を卒業し、大学に入って改めて知る
不登校という言葉に付き纏う負のイメージや、通信制高校の認知度の低さ、
社会的弱者という言葉の中にひとくくりされてしまう彼ら、彼女らの現状でした。

不登校者は、学校に行くことも出来ない弱い子で、
可哀想な子だとする認識に腹が立つこともありました。

その状況を少しでも変えたい。

不登校という過去を持った子たちが自分自身を蔑むことなく、
通信制高校生が通信制高校に通っていることを自信に持ち
彼ら、彼女らを認めてくれる社会にするためにまずは第一歩。

私が変われた場所で、次は私が変えていきたい。そう思い、インターンを志望しました。

 


 

今、私は、今日何があったか、何を感じたかを話し、悩みをぶちまけ、夢を語っています。

変わるきっかけを与えてくれたD×Pでインターンをして、日々学び変化しています。

 

 

長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただき本当にありがとうございます。

精一杯頑張りますのでD×Pの応援とともに、どうぞよろしくお願い致します。

 


新スタッフとしてのご挨拶

 
はじめまして **

NPO法人D×P新スタッフの中西みちるです。

「みちる」は平仮名です。小学生の頃は、漢字が無いのが何となく格好悪いような気がして、自分の名前はあまり好きではありませんでしたが、今は、個性的ですぐに覚えてもらえるこの名前が好きです。

D×Pでは「みちる・ちるちる・ちる・みちるん」など、色々なあだ名で呼ばれています。

 1994年の冬生まれです。京都市内の大学1回生で、社会学を学んでいます。生まれは群馬、育ちは東京という、根っからの関東人ですが、大学進学を機に関西へと引っ越してきました。今は京都で1人暮らしをしています。坂の多さと市バスの複雑さには大分慣れました。

楽器の演奏&音楽を聴くこと、写真を撮ること、考えることが好きで、わらび餅とコーヒーと紅茶を愛しています。



はじめてD×Pの存在を知ったのは、6月に心斎橋のとある写真展に行った時です。

その写真展は、大学の講義にゲストスピーカーとして来てくださっていた方の写真展で、そこで代表ののりさん・スタッフの陵さんと初めてお会いしました。

大学に入学して2ヶ月と少しが経ち、これからの大学生活をどのように過ごして行こうか、様々な思いがぐるぐると自分の中で渦を巻いている時期で、とにかく「知る・掴む」ことからはじめなければと焦っていた頃のことです。あの講義のあと、ゲストスピーカーの方と話をすることがなければ、その後、写真展に誘って頂くことがなければ、D×Pとの出会いはなかったかも知れないと思うと、とても不思議な縁だと感じています。

そもそも、私がなぜD×Pの活動に興味を持ったのか?ということを、自分の今までの経験や生い立ちを含めて話したいと思います。



「日本の教育には、問題はないの?」

  ━━…詰問に答えられなかったことが、忘れられなかった。



 

高校2年の夏、ツアーリーダーが知り合いという理由で、とある団体のメンバーとして、バングラデシュのスタディーツアーに参加しました。

その団体は、現地の初等教育に関するNGOを支援している団体だったため、現地では、都市部から農村まで、沢山の小学校を訪問しました。

途上国の抱える問題について現地の人や同行した日本人と話し合う中で、何度か現地の人に言われた言葉がありました。

 

「日本の教育には、何も問題がないの?」

 

日本に、問題がないわけではない。日本にも格差は存在するし、日本の教育現場にだって、様々な問題がある。しかし、具体的に何が誰にとってどう問題なのか?うまく言葉にすることが出来ませんでした。「自分は自分の住む国のことを知らない。」そんなことに気づいた夏でした。

帰国後、同行した高校生の友達が、次々に異なる途上国へと出向く中で、私は、再び外国へという気持ちよりも、「日本」のことを知りたい、考えたいという思いでいっぱいでした。大学進学という進路を選んだ理由も、もっと日本の社会について知りたいとこの頃に思ったからです。こんな経験が、漠然と「日本の教育」に興味を持つきっかけになったのではないかと思っています。

 

 

「鳥が好きなの?嫌いなの?本当はどっちなの?」

  ━━…自分の思いを言えなかったこと



 


物心ついた頃から、自分に対してネガティブな感情を持っていたように思います。様々な要因が重なってのことだったと思うのですが、高校生になるまでは、中々自分の思いを人に発信することが出来ずにいました。

中学2年の頃、クラスメートにこんなことを言われました。

「例えばAちゃんが“私は鳥が好き”と言ったら、みちるは“私も好き”と言うけど

 Bちゃんが“私は鳥が嫌い”と言ったら、みちるは“私も嫌い”って言うでしょ? 

この言葉は私にとってきついものでもありましたが、それは同時に「自分の思いを言ってほしい、そしたら受け止めるから」と言ってくれていることでもありました。また、あまりにも他人に対して優柔不断だった私に、涙を流しながら「信じてほしい」と言ってくれる友人にも出会うことが出来ました。

自己主張が、自己肯定が、様々な経験から「罪」だとまで思っていた私は、こんな友人たちに出会い、支えられ、こうして生きているのだなと思いますし、まだまだ、自分と向き合って乗り越えて行くことが必要だと思っています。

D×Pのミッションには「自分を諦めない」という言葉があり、ヴィジョンには「自律」という言葉があります。私は、自己肯定が出来るようになることが、自分を諦めないこと、そして自律に繋がって行くと、漠然と思っています。これは本当に自分自身がずっと抱えてきた、今も抱えている課題だと思っているので、ここでの活動を通して、自分自身しっかりと「自律」出来る様になりたいと思っています。



 

 


D×Pスタッフを志望した理由としては、代表ののりさん、きほさん、スタッフの方々と一緒に活動したいと思ったからです。

また、様々な立場から学ぶという姿勢に惹かれたこと、「自分を諦めない」という言葉のインパクトに圧倒されたということも大きいと思います。

 

これから活動する上で、謙虚に、素直に、温かく、そして時には批判的に考察する姿勢を大事にしていきたいです。人に助けを求めることがとても苦手なので、人を頼ることが上手に出来る人になりたいです。何が真理か、道理かは、すぐには分からないことが多くあると思いますが、聴く姿勢、信じる勇気、変える勇気をもって頑張って行きたいと思います。


未熟者の18歳ですが、どうぞよろしくお願いします**

 


スタッフへのインタビュー Vol.2 西野

こんにちは!今井です。

本日は当団体の学生スタッフがNPO法人D×Pになぜ入ったのか、
そしてどんな職場でどのように活動しているのか、を
メールインタビューで聞かせてもらったので、
それを掲載します。

NPO法人D×Pで一緒に働いてみたい、と思う学生さんや
社会人の方はぜひご覧ください。よろしくお願いします。

本日はECC「クレッシェンド」リーダーの西野へのインタビューです。


NPO D×Pに入った時期と理由を教えてください。 

入った時期は、去年の2月末です。

もう1年4ヶ月くらいになりますが、まだ1年4ヶ月かぁ〜という感じです。笑


Twitterでリツイートされてきているツイートみつけて、自分からアプローチしました。

当時はDream×Possibilityという団体のことも、代表ののりさんやきほさんのことも全く知りませんでした。


アプローチした理由は、D×Pがいろんな価値観や考え方を肯定する場所をつくっていたこと、高校生に教育分野でアプローチをしようとしていたことです。

当時、日本の画一的な教育に問題意識を持ち始めていて、何か自分にできることは無いのかな〜と悶々としていました。

ちょうどそのときにD×Pをみつけて、いろんな価値観や考え方、多様な生き方を知る場を高校生に提供できるのでは?と思ったので、スタッフ説明会に応募したのが始まりでした。


入った理由は、面談で出会ったのりさん、きほさん、スタッフのあゆと一緒に働いてみたいと思ったからかな〜。

あと、ここにいたら絶対面白いことが起きる!と直感的に思ったからです。笑


NPO D×Pに入って何が仕事として面白かったですか? 


面白いことは日々いっぱいあります。

私が主にやっている仕事は、

・プログラムの企画から運営

・授業プログラムの現場スタッフ

・関係する学校やコンポーザーの方々への対応

・総務関係の仕事

などなど。


その中で特に私にとって面白いのは、自分たちで授業を企画し、実施するところ。

そして現場で、授業を受けた生徒たちが変化していくのを見られるところです。


授業作りは本当に難しさを感じますが、これがめっっちゃ面白い。

メインのコンテンツやアイスブレイクの手法、自己紹介の手法まで、全てスタッフが考えます。

目的は何だろうか?何が必要なコンテンツか?

生徒にとって面白いだろうか?生徒に無理はないだろうか?

コンポーザーの方々にはどういう準備をしてもらおうか?

そして、毎回の授業で改善を重ねて授業を行います。

アイデアを出すブレストをしたり、ディスカッションをする場は多いです。

ひとつひとつの授業を作ることは、いろんな人が関わり、生徒にも大きな影響を与えるため、とても責任のあることです。

しかし、一つ一つの授業が実施され、結果が現れていくのは本当に面白さを感じます。


そして、実際に授業のときに生徒のいろんな変化をみられるところも感慨深いものがあります。

前回全然話せなかった子が、今回少し話していた、笑顔が見えた。

今回は、前よりも自分のことを話してくれた。

授業前「めっちゃめんどくさい」とか言ってた子が「意外と面白かった」と言ってくれた。

などなど。生徒と関わる責任は大きいですが、その分嬉しさも倍増です。


あともう一つ、総務としての仕事で、新しいロゴのデザインから新しい名刺作成までを、デザイン会社様に協力して頂きながら進めたことも面白かったです。

ロゴ、キャッチコピー、名刺デザインなど、メンバーの意見をまとめていくのはかなり大変でしたが、出来上がりを見たときは感無量でした*



何をモチベーションとして仕事をしていますか?

生徒と関わり、笑顔を見ることや、変わっていく姿を見れる嬉しさ

コンポーザーさんが一生懸命、生徒のことを考えてくれている姿

多くの人と関わったり、生徒に(もしかすると社会にも)影響を与えるという責任感

自分しか担当していない仕事をする時のスリル感(笑)

D×Pメンバーと一緒に仕事ができること


基本的に、D×Pの仕事は楽しく、日々面白さを感じてます!

大変なこと、しんどいと思うこともたまーにありますが、そのときは本当にスタッフのみんなに支えられています。

プライベートで悩んでいる時は、メンバーと飲みに行って解消します。笑


NPO法人D×Pに入って自分が変わったこと、得られたものは何でしょうか?

自分の意見を臆することなく言えるようになったこと。

前よりは少し論理的に物事を考えるようになれたこと。

自分が持つ仕事に対する責任感が前よりもついたこと。

たくさんの人との出会い。

いろんな価値観や考え方を知り、学んでいく姿勢。

いろんな意味でタフになった。笑


どんな人にコアボランティアスタッフとしてきてほしいですか? 

★D×Pに共感するひと

D×Pの理念への共感はもちろん、私たちスタッフと一緒に働きたいと思うかどうかは重要ポイントだと思っています。


★知らないことを知ることは面白いことだと感じられるひと

一言で言っちゃうと、好奇心旺盛な人ってことになりそうですが、笑

仕事をしながら、日々、未知なことに直面します。

それを前向きに捉えて、どんどん知ってやろうじゃないか、とワクワクできる人と一緒に働きたいです。


★自分から動けるひと

これは、自分自身がスタッフになって感じたことですが、指示を待つことしかできないと、D×Pはけっこうしんどいと思います。笑

はじめはそれであっても、慣れたら自分から主体的に動けるかどうかがけっこう大事かなー。


 代表のふたりはどんな人ですか?良い部分と悪い部分も含めて教えてください笑 

のりさんは、行動派で、常に仕事でどこかを飛び回っています。ほんまにタフです。

仕事が早い。見習いたいです。

観察力が抜群にあります。私のバイオリズムもばれています。笑

とても情熱的で、とっても仲間想いです。

あと、チョイスする音楽のセンスが、めーっちゃすてきです。

そして、日本語がちょっと苦手で、私と同様に声がデカいです。笑


きほさんは、先を見据えながらも、あまり皆が気がついていない隠れたネックに気付くような人です。

スタッフの意見をよく聞いてくれます。

直球より、変化球を投げる感じで、会議中や普段の会話でも、いつも気付きを与えてくれます。会話の引き出しが多いです。

そして、いつそんなに趣味の時間取ってるの?!というくらい趣味の幅が広い。すてきです。

でも変わった趣味もたまにあります。笑 ←


のりさんときほさんのバランスは抜群にいいと思います。

いい意味で尖った部分を持ち合わせている二人なので、最強コンビだなーと実は思ってます*


↑ D×Pで淡路島まで旅行にいったときの写真です笑


スタッフへのインタビュー Vol.1 岡本

こんばんは!今井です。

本日は当団体の学生スタッフがNPO D×Pになぜ入ったのか、
そしてどんな職場でどのように活動しているのか、を
メールインタビューで聞かせてもらったので、
それを掲載します。

NPO D×Pで一緒に働いてみたい、と思う学生さんや
社会人の方はぜひご覧ください。よろしくお願いします。

本日は岡本へのインタビューです。



NPO D×Pに入った時期と理由を教えてください。

2年前の夏にスタッフとなりました。

クレッシェンドのプログラムの一部である
「ユメブレスト」を、大学生や社会人などの方を
対象にイベントとして行っていたころです。

そのユメブレストに初めて参加した帰り道、スタッフに
なりたい!と意気込んでいました。世代や立場関係なしに
それぞれの価値観から学び合うというコンセプトに
惚れ込んだからです。

元々高校生のころから、立場や年齢をかざした一方的な
価値観の刷り込みなどに違和感があったからだと思います。

お互いを認め合える場に、「大共感」と「わくわく感」、
可能性」を感じました。

また地元の和歌山県で社会貢献したい、若者のサポートをしたい、
と考えていたことも理由です。「都市部だけでなく地方でも
活動を広げたい」そう語る共同代表のふたりの言葉に
惹かれたことを覚えています。


NPO D×Pに入って何が仕事として面白かったですか?

うーん、本当に事務作業なども含め日々のこと
すべて面白いと思ってるので、正直選び難いですね。

でも一番楽しい時は、やはりクレッシェンドなどで
高校生と関わっている最中でしょうか

毎クラス、スタッフは全力をかけて臨んでいます。
生徒さんの人生に関わらせてもらうのでもちろん
緊張感はありますが、やりがいもひとしおです。

あと、興味と必要に応じて新しい仕事をどんどん任せて
もらえることも面白いと思っています。最近では広報の仕事を
始めたのですが、右も左もわからない状態からのスタート。
責任は大きいですが、興味のあることなので勉強意欲も湧きます!


何がモチベーションとして仕事をしていますか?

高校生との関わり。

高校生に自然と生まれた笑顔。

教育や社会への課題意識ともやもやした感情。

D×Pメンバーの存在。

楽しく、素の自分でいれて、自然に頑張ろうと思える、
居心地のよすぎる職場環境。

これらが根底にあるからこそ、モチベーションはつきたことは長らくないです。
 

NPO D×Pに入って自分が変わったこと、得られたものは何でしょうか
 
沢山の方の語りや姿勢からの様々な学び。
やりたいこととやるべきことが一致していることへの充足感。
これらによってわたし自身の人生が豊かになったな、と感じてます。

どんな人にコアボランティアスタッフとしてきてほしいですか?

D×Pの理念や活動へ深く共感してくださる方。
そして行動したいという気持ちがある方。


代表のふたりはどんな人ですか?良い部分と悪い部分も
 含めて教えてください笑

ふふ。二人とも、すごい大好きです。笑
のりさんは、未来を見据えながらも「今を楽しく生きること」を、
日々体現しているような人。
その姿勢と強い意志でD×Pをひっぱっていってくれる。
人のおもしろいところを見つける天才だと思っています、こっそり。

きほさんは、まわりをすごく見ていていつも新鮮な視点をくれる人
そして包容力があるので、D×Pのおかん!(と勝手にわたしが
思っている。笑)元気がないとすぐばれます。笑

スタッフにもあたたかく時には厳しく、深いやさしさで
真摯に向き合ってくれます。

あとふたりともお茶目ですね!笑
なんか、素直にほめ過ぎてすいません。笑

新スタッフとしてのご挨拶(吉田)

はじめまして!この度、D×Pに新スタッフとして参加することになりました吉田耕平と申します。
「吉い田んぼを耕して平らに」という農耕民的な名前をしていますが、コメを栽培したことはありません(笑)
初めてのブログ投稿に若干の照れを隠しきれないのですが、簡単にご挨拶をさせていただきます。

1986年に生まれ、それから今までずっと京都一筋の京男です。
大学時代は工学部で医薬品の研究をしつつ、精神科や学習塾で日夜アルバイトに励んでいました。
浪人→留年と人生を謳歌しすぎて遅くなってしまったのですが、現在は金融機関の一年生として営業の仕事をしつつD×Pの事業に携わっています。

初めてD×Pに関わったのは、かれこれもう1年半前になります。Webで偶然目にした代表今井の考えに共感し、「一度話を聞いてみたい」と参加したユメブレストが最初の出会いでした。その縁があって、昨年より大阪の通信制高校で実施されているプログラムにも、第一回よりコンポーザーとして参加させていただきました。

そのような立場であったので、今回、改めてスタッフとして加わることになったことを自身でも少し不思議に感じています。仕事は未だ慣れないし、生活面でも学生時代とは異なる生活リズムに適応できているとは自信をもって言えません。そんな状態でなぜ、D×Pの活動にプライベートの時間を費やそうと思ったのか。その背景も兼ね、以下少しだけ自己紹介させていただきます。

 なんのために生まれて なにをして生きるのか
 こたえられないなんて そんなのはいやだ!

誰もが一度は耳にしたことがあるだろうこのフレーズ。 過去自分はどう生きてきて、今自分は何を幸せと思い、将来自分は何をして死んでいくのか。 多かれ少なかれ、自分が生きる意味について一度も考えたことがない人はこの世にいないのではないでしょうか。

多分に漏れず、私も高校時代このことに凄く悩んだ時期がありました。中堅進学校のいわゆる「選抜クラス」に在籍していたのですが、「少しでも偏差値が高い大学へ入学する」という唯一の目的に意味が見出せず、「自分をやる気にさせてくれるナニカ」を外に求めてばかりの日々を送っていた気がします。

私は特にこの「自分探し」をこじらせてしまったタイプで、同様の違和感を持つ友人達が、それらを頭の片隅に追いやり受験勉強に励むよう時期になっても、まだなお授業をサボって境内(お寺が経営している高校でした)で読書や妄想に耽ることがライフワークという有様。当然志望校にも不合格、予備校でも相変わらずの自分探しとサボりの日々、一浪して入った第三志望の大学でも、一年生の終わりで早くも留年確定という何一つ誇れるものがない十代後半を送っていたように思います。

中島敦の山月記ではありませんが、この頃の自分といえば、自負心から他人と異なる本当の自分を探す一方、自分自身に何一つ肯定感情が持てない矛盾を抱えて日々を過ごしてばかりいたように思います。将来を考えることが苦痛で、生きているのか死んでいるのかわからない繰り返しの毎日がたまらなく嫌で、文字通り空っぽの毎日を刻んでばかりいました。

そんな私でも、いくつかの転機を経て、曲がりなりにも職に就き、今では散々探し求めた「自分」にもそれなりに胸を張って生きれるようになりました。十代後半当時を思い返せば信じられない話なのですが、学習塾や精神病院で、「ジブン」との向き合いに悩む方々に寄り添わせていただく立場を経験させていただくこともできました。一つ一つを挙げればキリがないもの、きっかけとなったのは「生き方」の手本となる沢山の人達との出会いであり、それまで気付くことのできなかった周囲の人達の支えのおかげであります。

そして、「そんな周囲の人達の厚意を、少しでもまた別の周囲の人達に返していきたい」という思いで関わり始めたD×Pにおいても、気が付けばイベント参加だけでは物足りなくなり、今回こうやって新スタッフとしての挨拶を書かせていただくに至っています。まだまだ勉強の足りない身ではありますが、今後とも、よろしくお願いいたします。

最後に少しだけ告知。

現在、D×Pでは、通信制高校にて、高校生と一緒に「ジブン」を考える授業を作ってくださる社会人や学生の方を募集しています。私自身、出会った大人の方からの学びが無ければ今の「自分」はなかったと思いますし、相手方にとっても、そんな私の悩みは普段忘れがちな「ジブン」を再考するきっかけとなったのではないでしょうか。

 なんのために生まれて なにをして生きるのか
 こたえられないなんて そんなのはいやだ!

あなたも今一度、一緒に考えてみませんか? 


D×Pをはじめた理由 今井紀明 その 崋分のバックグランドから考えてみる」

共同代表の今井です。

ちょっとたまには自分のことをまとめてみよう、と。

来年のNPO法人化の申請前に「自分が始めた理由とか情熱とかをまとめてみろよ」と監事になる自分の先輩にいわれたので、ちょっとまとめてみます。何回かに分けて書きます。

まずは子どものときからの話。





小さいときは普通のゲームが好きな男の子だった。
110時間以上もRPGには打ち込めるし、朝から晩までやり続けていた記憶がある。スポーツなんかあんまり好きではない、小学校のときは好きな女の子に誘われてブラスバンドにも入る、結構内気な男の子だったと今考えてみれば思う。

中学校のときは結構目立ちたがり屋だったかもしれない。ブラスバンドから引き続いて吹奏楽部に入り、全国大会に2回。生徒会長も兼任していたといえば、中学校時代はばたばただったとわかってもらえるかもしれない。

自分が社会問題に関心を持ち始めたのは中学時代の最後、生徒会長をやめて吹奏楽部もやめたときに暇になったときのことだった。受験勉強もあったが、なぜかあんまりやる気が起こらず、あんまり勉強しないで朝の通学のときにゴミ拾いをやっていた。「生徒会長をやっていたんだから、それぐらいしないと」と勝手な責任感を持つ勘違い屋さんで、あほだった僕。笑

ゴミ拾いをはじめて環境問題に興味を持ち始めた僕は片っ端からブックオフで本を買いあさって読んでいた。受験勉強をしなかったのはこれが理由なのかもしれない。当時はインターネットもほとんど触ったこともない男の子で、本ばかり読んでいた。

中学卒業前、ひょんなことで近くにできた市民活動センターみたいなところに言ったら「NGO屋台村」という様々な国際協力のNGOが集まる催し物がやっていた。僕はそのときに延々と一個一個のNGOの人たちから話を聞き回り、地球ってこんなにまずいんだ、戦争で苦しんでいる人たちがたくさんいるんだ、と解釈し、高校のときには必ずその研究をしようと思うようになった。

そして、何か行動を起こそうと心に決めて「高校に入ってから昔の人みたいに努力しよう。高校
3年間は昼ご飯は食べないようにして、飢餓にも耐えながら母親からお金をもらい、それを勉強のお金にしよう」と静かに誓ったのがこのとき。今、考えてみれば本当にあほだったとしか思えないが、当時の僕はすごく強く思っていて、結局高校3年間、一度しかまともにご飯を食べたことがなく、高校の食堂に顔を出したことが一度もない。笑 母親と祖母に何度かばれそうになったが、そういうときには高校の友人を連れてきていて「一緒によく昼休みにご飯食べて遊んでます」というような事を、よく友人に言わせていたと思う。笑

さて、高校時代の話に戻ると、高校1年生の時にひとつの大きな出来事があった。それが911のテロ事件のあとに起こったアフガニスタンの空爆だった。ビンラディンという人物がアルカイダという組織を率いてテロ攻撃したと思ったら、アメリカはタリバンという組織があるアフガニスタンの空爆をはじめた。いくらタリバンがアルカイダとつながりがあるとかいっていても、国際法を無視して空爆をはじめたアメリカ、そしてそこに対してすべての国が行動を支持した事に対して疑問しか映らなかった。突然、あのときから僕のなかで世界が敵になった、というか、この世の中の不条理が敵だという認識に変わったのかもしれない。

そこから僕は弁論部と吹奏楽部に入っていたが、それをやめて学校外で様々な人たちに出会うようになる。いわゆる平和運動をしている運動家の人たちだったり、NGOの関係者や議員の人たちなど、本当に様々な人たちと話し合ってきた。学校の勉強に興味を持たなくなり、変人扱いされる様に?なってきたのはこのころからかな。クラスメイトや友人のこともあまりこの辺りから関係性が薄れはじめて、結構学校ではひとりでいることも多くなった。学校に通ってもずっとねているだけでまともに勉強することもない、学校を休んでずっと外で動いていたこともよくあった。数学の先生に言われたのは「今井、地球を救うよりも自分を救え」とのお言葉。笑 今考えてみれば、もう少しまともに勉強すればよかったのかもしれない。

このあたりのときに実は学校を辞めたいと思っていた。大検をとって大学にいこうと思っていた。全然、僕は高校にいることに魅力を感じることができなかった。だけど、担任がいい先生で僕を引き止めてくれたおかげで学校には残っていたのだと思う。僕は先生方に怒られたし、最後にあまりにも学校での点数が悪すぎたので全校のトイレ掃除をして卒業していったことを覚えている。

そして、あの事件を経験した。人質になる経験から僕は様々な人から批判を受け、路上では叩かれたり、罵声を浴びた。僕は人と話せなくなり、応援する人たちのことが嫌いになり、人と関わることが嫌になり、笑わなくなった。





事件後、僕はイギリスに行った。とにかく、逃げたかった、日本から。

写真はイギリスのときの1枚、イラク戦争から2年経った時のロンドン反戦デモ。

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