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- 2013.11.29 Friday
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彼の名前は福田純さん。当団体と株式会社日本エコプランニングサービスさん、そしてフォトジャーナリストの安田菜津紀さんが協力して被災地の高校生や経済的、環境的に困難な状況にあり、海外渡航経験のない高校生を無料でカンボジアのスタディツアーの「高校生チャレンジ枠」に応募し、福田さんは行くことができました。
(スタディツアーについてはこちら)
2012年の年末に彼と4ヶ月ぶりに再会したときに明らかにカンボジアに行く前のときと行った後の雰囲気が違っていました。以前にはなかった「やってみたいこと」という気持ちを持ち始め、その目標のために動き出したといいます。
彼に今回はインタビューしてこれまでのことや、今後のことについて聞いてみました。
初めに、スタディツアーに参加しようと思ったきっかけを教えてください。
「そもそもスタディツアー高校生チャレンジ枠に応募する気なんて全くなかった。聞かされた時はかなり興味もったけれども、応募内容が「子ども達の貧困問題」についてのレポート1200文字以上。それを踏まえて「なぜ、カンボジアに行きたいのか?」って内容のレポート。レポートは苦手だし、1200文字以上、それに更にもう1つレポートがあるし。それ知ってからやる気はゼロ。はい、さよならーって感じでした。そんな文字数書けないし。正直その時はそこまで行きたいって思っていた国じゃなかった。だから余計に応募する気はなかった。」
では、なぜ参加することにしたのですか。
「先生2人にごり押しされました。ごり押しに弱い福田。断るのも苦手な福田。お願いされるとしてしまう福田。色々悪巧みを考えて出さない為に計画も立てましたけれども、なんだかんだ出すことになりました。笑」
では、スタディツアーに参加して良かったと思うことを教えてください。
「まずはレポート出してよかったってことです。選ばれてなかったらって考えると怖いですが。行けてよかったです。感謝感謝です。次に繋がりです。今までに経験したことのないぐらい人との出会いが増えたました。一緒に行ったメンバーとの出会いでもかなりの数だったのに、前回のスタディツアーメンバーを始めとする色んな人と出会えました。今でも信じられないくらいです。
子どもと遊ぶ福田さん
スタディツアーに参加して、考え方の変化や、将来についての考え方が変わりましたか?
スタディツアー前は、高校卒業資格さえもらえればいいって思っていたけど、カンボジアで子どもたちと触れ合って保育士になりたいと思いました。理由はわかりませんが。
でも帰国後に新たにやりたい事を発見しました。それは語学です。これも理由はわかりません。保育から語学。全然、接点ないですね(笑)でも、やりたい事見つけたからいいと思っています。
旅の途中 夕焼け(福田純撮影)
でもそこから焦っています。英語はわからないし苦手。国語の授業は取っていないし。それ以前に勉強は好きではないので(笑)だからこそ危機感を感じて必死で勉強しています。そこですね、友達の存在が遠くに感じるようになったのは。こちらは、危機感を感じて勉強しているのに、馬鹿にしたり、遊びに誘ってくる。それが大きいかもしれないですね。今は遊ぶ時間があったら勉強の時間に使うようになりました。優先順位が変わったんだと思います。
今までは勉強より遊ぶが、今では遊ぶより勉強。それ程スタディツアーが大きい存在なんです。スタディツアーメンバーといるのが楽しすぎて家にいることが以前にも増して嫌にもなりました。笑
あと自分の中での大きな変化は、人の力になりたいと思うようになったところ。今まで人助けとか考えた事はなかったですが、スタディツアー行って人に助けてもらってばかりだなって改めて思った。過去に家庭の事情で預けられた施設でもそうだし、学校でもそうだし、スタディツアーに行くという事に関しても。本当に助けてもらってばかり。でも、その割に自分は何もしてない。それはおかしい、って。だから、できる事は全力でやりたい。助けになれる事があるなら全力で助けになりたい。些細な事でも。
格好良いこと言っていますが、変化してないとこもあります(笑)未だに自分の気持ちを口にするのは苦手だし、感情押し殺してにこにこしているし。そこも変われたらいいと思っているんですがね。(笑)
最後に、スタディツアーの経験を今後どのように生きたいと思っていますか?
最後に。スタディツアー行けて本当に良かったです。行ってから色々悩んだりすることも多くなりましたけど、行ってなかったらそういった事もなかったと思います。さっき言ったような色々変化もありましたし。ありすぎて困っていますが。笑 でも、がんばりたい事も見つましたし、出会いもありました。今後ともこの繋がりを大切にして行きたいと思っています。
ツアーのメンバー全員で撮った写真
3月下旬に事務所を引っ越してから、忙しくなる4月を前に僕は一時帰郷することにしていた。しばらく北海道のふるさとに帰っていなかったので、3日間ぐらいは帰って家族や友人たちに会おうと思っていたのだ。
この日はほとんど寝ずに朝を迎えて、朝一番の飛行機に乗った。移動中などもD×Pの仕事をしながら札幌の実家にたどり着いた。家族と話し合い、そして夜遅くから友人たちと飲みに行き、朝方自宅に戻る。僕はベッドに倒れ込み、ほぼ一瞬にして朝を迎えた。
朝起きると、脚の方が暖かい。「おお、母さんたちが湯たんぽを入れてくれていたんだな」と、眠い目をこすりながらもその優しさに幸せな気分になる。そして、寒い空気の中で暖かい湯たんぽと布団にくるまりながら、僕は二度寝をした。
その時までは、僕は自分の足が大変なことになっていることに気がついていなかった。
朝起きて着替えているときに、僕は脚の異変に気がつく。「むっ!!!!」と見ると、右足のふくらはぎに巨大な水ぶくれができている。漫画のたんこぶのようなその巨大な水ぶくれに、母親は「ああ、これは湯たんぽで低温火傷したんだね」と話していた。
「6日後にはハーフマラソンが控えている、だが、なんとかなるよな」このときからしばらくは、この水ぶくれの重大さに気がつかず、とりあえずつぶして薬を塗り包帯を巻いていた。大阪に帰ってきた後もそういった対処をしていたのだが、4月1日に異変が起きた。
朝からすごい右脚の痛み。その日は移動も多かったのだが、徐々に普通に歩くことが困難になってきた。「いったい、この痛みはなんなんだ?」次の日はハーフマラソンで、その挑戦を楽しみにしていたのだが、断念。あまりにも痛すぎて、走る、というより歩くことすらも困難になってきたのだ。僕は「この状況はさすがにまずい」と思い始め近くの形成外科を探し、病院に行った。
「…よく耐えましたね、これは痛いでしょ?」と、医者が同情しているような顔で言った。「これ、3ヶ月はかかりますよ、もしかしたら皮膚移植をしなければいけないかもしれません」と話していたが、とにかくあまりの脚の痛みを理解してくれただけでも、「ああ、救いの手がきた」と思っていた。
次の週には美容専門学校の新1年生の、しかもその1年生にとっての初授業を任されている。その準備で忙しかったが、脚の治療に専念する必要があった。この週、僕は3回も病院に通った。徐々に痛みが回復し、まだ足を引きずっている状況だったが、「なんとかやれるぞ」と思っていた。
しかし、とんでもない悲劇が、専門学校での初授業の2日前に起こる。右足のふくらはぎの一部の肉はほとんど腐っていたため、一度切除して焼いて出血を止めてもらい、僕はいつものように事務所で仕事をしていた。そのときに、「ええ!!」とスタッフの岡本が驚きの声をあげた。「のりさん、足から血がポタポタ垂れている…」というと、他のスタッフもびっくり。ズボンに血がにじみ、大量に出血していた。
何が起こったのかわからなかったが、靴をはくこともできないので、スリッパで病院に向かう。結論からいうと、僕はこの出血事件から5時間ぐらい出血し続け、4度も病院に行って止血してもらわなくてはならなかった。原因は医療ミス、この日は精神的にとんでもなく参ってしまった。とにかく安静にするために家に戻り、寝たきりの状況となった。「月曜日の美容専門学校の授業に行かなきゃいけないが…」そんな不安を抱えながら、僕は週末を過ごすのだった。
「朴からメッセージ〜私とD×P〜」
皆様お久しぶりです。共同代表の朴です。
3月から目紛しく環境が変わり、今は神奈川県におります。
先ほど今井が述べておりました様に、今回は連続で私たちD×Pの全スタッフの想いをブログにて綴りたいと思っております。
普段あまりお話することができていないスタッフの想い。そんな想いをスタッフ募集説明会に向けて書いていくのでお時間がある方は是非読んで頂ければと思います。
私、朴基浩(ぱくきほ)は生まれも育ちも関西地域でして
名前の通り日本国籍を持っている人ではありません。
(国籍という概念が正当か否かという議論はここではしません笑)
生まれた時には父親や母親を朝鮮語(韓国語)の呼称で呼んでいた自分がいて、しかも幼稚園から朝鮮学校(民族学校)に通っておりました。私の両親の教育方針により中学校はいわゆる「お受験」をして、中学からは大阪にある私立の男子校に通っておりました。
小学校を卒業し、時々朝鮮学校の友人に会いみんなと話していて将来の話をすると
「焼肉屋」「パチンコ屋」
大抵この2つしか答えが帰ってこないという事実には衝撃を覚えた思い出があります。
日本の友人なんて出来る訳もないし、特に作りたいと思わない。
かつて小学校で一緒に学んだ友人はそんな事を言っていました。
そんなこんなで私は私立男子校で毎日勉強とラグビーの繰り返しで
気付けば骨抜きのただの不感症の学生であることに気付きます。
勿論色々な遊びも覚えましたが、ある一定のラインを超えるといつも覚めてしまう自分がいたりして、
このまま大学に入って就職することに疑問を覚えた自分がいました。
そんな時中高一貫で高校にいた私は高校を自主退学し、アメリカへ留学をし、
アメリカでの自由な教育に魅了され(当時は表面的な「自由」という言葉に翻弄されていました)
帰国後働きながら通信制の高校に通い、そして20歳を過ぎて大学に入学しました。
大学に入って周りの上回生は私と同年代。
けれども、どこか世代論に圧倒されている傾向があり、新しい一年生に対して
「今年の一年は若いよね〜」とか
「社会人」や「学生」の縛りや立場ばかりを気にしている価値観に対して疑問しか覚えませんでした。
一方でそういった上回生に圧倒されている下級生がいる、
自分の意見も言えないでいる人がいるんじゃないか、そんな事を想い
私と今井は月に一度「1年生が主役になれる場」を設けました。
その時は事業化するなんて勿論思っていませんでしたが、
今井が大阪に移り住みそこで「ユメブレスト」を継続していく中で、
日本で作られてしまっている自己肯定感の低さは
他者によって否定されることで醸成されてしまっているのではないか、
と私と今井は考え、この活動を続けていく事を決めDream×Possibilityを立ち上げました。
会社にいて、あえて上司から部下の可能性を引き出すことなんてあるのでしょうか。
可能性を引き出すよりも相手の立場からのみ相手を判断して
否定することが当たり前になっているのではないでしょうか。
ましてや毎日学校生活を送っている高校生が触れ合う大人は「先生」だけに限られてしまうんじゃないでしょうか。
その唯一の大人が決めつけて「否定」することは高校生の可能性を引き出しているのでしょうか。
そして、交友関係もよほど活動的でない限り学校の友人のみになってしまうのではないでしょうか。
さらには、それが地方になった場合に色々な事を知る場/機会が都市部と同等にあるのでしょうか。
「機会格差」「環境格差」
二つのキーワードをDream×Possibilityは呈示しています。
このキーワードから高校生の自己肯定感の低さは生まれるのではないでしょうか。
私達は、
「全ての若者がいかなる要因にも左右されず、可能性を最大限に発揮できる希望溢れる社会」
の実現に向けて活動しています。
少し簡単な説明になりましたが、上記のもう少し具体的な方法論などを説明会にてお話します。
一緒に協力して下さる方、是非説明会にお越し下さい。
D×Pをどうぞ宜しくお願い致します。
こんにちは、共同代表の朴です。
ユメブレスト in 和歌山も無事終わり、気付けばもうこんな季節。
私の住んでいる街では雪が降ったり雨が降ったり急に晴れたりと不安定な天気ですが、
これも春がくるまでの辛抱、いや楽しむべき季節なのでしょうか。
という事で恐らく今年最後になるであろうブログを書きたいと思います。
今回の記事では、本年度2010年度に私たちDream×Possibilityが行った活動を
私の視点から書いてみたいと思います(後に今井からの総括の記事もありますので)
【任意団体 Dream×Possibility 設立】
Dream×Possibilityを設立したのは実は今年の3月だったりします(しかも私の誕生日に笑)
「ユメブレスト」という活動を大分県別府市で始め、そしてその活動を継続的に続けてきて、
そして今井の就職の関係上大阪でも開催するようになりました。
大阪でユメブレストを開催していく中で、大学生だけではなく高校生、社会人、そしてそこに
当てはまらない人にもこの活動はあっても悪くないんではないだろうか、
そんな想いを持ち本格的に活動を始めようという事で今井と朴が2010年3月9日に
当団体Dream×Possibilityを設立しました。
今でもそうですが、まずはやってみる、そして継続する事。
私達の行動原理はここにあると思っています。
そして何より「個人にスポットを当てる事」を何より大事にし、
私たちが話すのではなく、話を引き出す中で「個人の可能性」を引き出したい。
そんな想いで常日頃から活動を行っています。
【ユメブレスト 定期(的)開催】
私たちのメインの活動である「ユメブレスト」。
気付けば今年だけでも、設立後は9月を除く月に毎月ユメブレストを開催していました。
そこにはリピーターの方、初めての方が参加され、
高校生、大学生、社会人、ジャーナリスト、様々な立場、職業、年齢の方が参加されました。
イベント本体のシステムとしてはまだまだ脆弱なのですが、
何より定期的に開催し、そして毎回定員一杯の方に参加して頂けた事。
これは私達の大きな励みになっており、これらは今後も持ち続けたい目標としてあります。
そしていつも参加者の方から学ばせて頂くことばかりだったということ。
これこそ、私たちが考える「個人の可能性」を引き出すという事に繋がっていると思います。
今井と私はいつも「話を引き出そうとしない」傾向にある現代に対して疑問を持ち、
そして私たちはどのイベントにおいても「インタビュアー」として参加させて頂いております。
この「インタビュアー」とは人の話を掘り下げ、しっかり話を聴ける人のこと指します。
勿論自分自身の意見を言えることも現代には必要です。
しかし、こちら側が意見を述べて「個人の可能性」を引き出すのではなく、
相手側の意見を少しでもいいから引き出すことで「個人の可能性」を引き出せるのではないかと私たちはいつも考えています。
ユメブレストは1.自分自身で言語化することからの気付き 2. 他の参加者が言語化した事からの気付き
この2点がある事。これこそが、ユメブレストの最大の特徴だと私たちは考えています。
「やりたい事」「夢」「直近の目標」
話すトピックは極めて単純かもしれません。
しかし「言語化」という作業を付随させることで大きく変わる事がある事、
そして不思議な空間に包まれるという事。
それが「ユメブレスト」だと思っています。
来年度も定期的に開催して参りますので皆様の御参加お待ちしております。
【地方都市や定時制高校でのユメブレスト開催】
これは来年度の目標になるのですが、12月に行ったユメブレスト in 和歌山の様な地方都市でのユメブレストの開催、
更には教育機関、特に定時制や特別学校におけるユメブレストの開催を来年度の大きな目標としております。
これは私たちの理念でもある「個人にスポットを当て個人の可能性を引き出す」に基づいています。
私たちDream×Possbilityは行まずはスポットの当たらない学校、そして個人のいる場所において
ユメブレストを開催することが団体の来年度の目標になっております。
これについては様々なアプローチをして行きたいと思っています。
まだまだ広報及び報告できる状態にありませんが、新たな展開として目標に向かって進んで参りますので
皆様のご協力どうぞ宜しくお願いします。
【朴基浩 個人として】
気付けば3月から走り続けてきた2010年度でした。
私自身、来年度からは関東地方に住居を移し、関東地方でDream×Possibilityの活動を行って参ります。
具体的な場所としては、群馬、埼玉の教育機関やフリースクールへのアプローチを考えております。
そして東京での新たなスタッフの採用も考えております。
人間として正直未熟な所ばかりですが、
Dream×Possibilityの活動を通して本当に多くの方々にお会いさせて頂いており、
多くの方々とお会いさせて頂く中で自分自身が人間的にも組織的にも成長できることに喜びを感じております。
この団体を運営していくこと、それは何より私が楽しいこと、そして成長できる場であると考えております。
社会に対して疑問を持ち続けること、
そしてそれに対して真摯な姿勢で物事に取り組んでいくこと。
年が変わってもこれは変えたくない個人的な理念です。
少し長くなりましたが、2010年度はDream×Possibility及び朴基浩を支えて頂き本当にありがとうございました。
2011年度も着実に前に進んで参りたいと思いますのでどうぞ宜しくお願い致します。
Dream×Possibility 共同代表
朴 基浩